共に歩いてくださるお方がいる

2017年11月19日

1) Carry Me わたしを負いなさい
◎十字架を負うことはイエス様と共に歩むことだ。イエスは決して私の重荷とはならない。むしろ助けとなる。

2) Trust Me わたしを信頼しなさい
◎イエスと共に歩む中で崖のような試練もある。奇跡でも起きて、問題が劇的に改善されることを願うものだ。
◎でも信頼してジャンプしてみよう。きっと、今まで見たことのない景色が広がるはず。

3) Love Me わたしを愛しなさい
◎私たちの周りには愛すべきものが沢山。でも、きっと愛すべきは救い主であるイエス。イエスはそれ以上に愛を返してくださるお方だ。

4) Keep Me わたしから離してはならない
◎イエス様そっちのけで、富や誘惑をかかえ込んでいないか。かかえ込むほど、イエスの存在は小さくなって行く。
◎でも、イエスだけは離してはならない。イエスも私たちを決してお見捨てにならないお方なのだから。

5) Protect Me わたしを守りなさい
◎私が信仰(イエス)を守っているようで、実は逆に守られていることを知ろう。イエスはあなたの盾となり砦となってくださるお方だ。

目をさましていなさい

2017年11月12日 マタイによる福音書24章32~44節

 

◎主イエスは再び来られる。その時の前兆を24章で語られた。目をさましていないと、この前兆を見逃してしまう。突然のことになってしまう。

◎主イエスが再臨なさるとき、私たちの救いは完成する。今は、「産みの苦しみ」をしているのだ(ローマ8:22~23)。しかし、だからといって救われていないのではない。救いを完成するために来られる主を迎えられるように目をさましていよう。

◎「目をさます」とは、再臨のイエスにフォーカスを合わせる生き方だ。現実のことばかりに目を合わせると近視眼的。逆に、再臨のことばかりを気にして、現実を軽んじる遠視的な生き方も要注意。

◎再臨のイエスは「清算」をするために来られる。

◎今の世は理不尽な世界。計算の合わない世界。それを無理矢理合わせようとしてさらなる矛盾へと陥ってしまう。

◎とはいえ、なにもしないわけではない。不完全な私ができる限りのことをするが、正しくさばかれるイエスの裁量にゆだねる。自分が正しいとは考えない。それが目をさましていることだ。

◎生まれながらの格差の問題もある。生まれ育ちの差。経済格差。身体的格差。どれをとっても理不尽だ。努力が足りないからか。過去の罪が尾を引いているのか・・・と、盲人の男に問いかけたように人は原因を探る。

◎イエスは原因ではなく「目的」を言われた。栄光が現わされるためだと。それは私たちが愛し合うためだ。再臨の主は清算をなさる。「あなたは愛しましたか」と。その最後の問いかけにフォーカスを合わせよう。

三つの愛に生きる

2017年11月5日 マタイによる福音書22章34~40節

 

◎イエス様は律法を完成するために来られた。その律法をまとめると「愛しなさい」ということ。神を愛し、自分を愛し、隣人を愛すること。

◎その律法とは「十戒」のこと。前半の四つは「神を愛する」こと。後半は「自分を愛し、隣人を愛すること」である。

◎律法は「道」のようなもの。イスラエルは道のない荒野でこの律法を受けた。新約における「道」は「愛すること」。この道から外れると、荒野で迷うことになる。

後の者が先に、先の者が後に

2017年10月29日 マタイによる福音書20章1~16節

 

イエス様は、天国の理屈と地上の理屈は異なることを教えられた。どう違うのか。

①救いについて:地上の国では立派に頑張った人が救われると考えられている。しかし、天国では朝の6時から働いた者も、午後5時からの者も同じ1デナリ。同じ救いを受けるのだ。我々の功績とは関係なく救いを受ける。

②報いについて:自分はどれだけ報酬を得るだろうか…という計算は、天国では通用しない。この世は損得計算で動いているが、天国は違う。天国は「愛の関係」で動いている。

これらを知らないと、「後の者が先になり、先の者が後になる」という結果が待ち受けている。だから…、神を愛していて、朝6時から働けたことを感謝しよう。たった1時間だけど、神を愛して働くことが出来たことを感謝しよう。

幼な子のように

2017年10月22日 マタイによる福音書19章13~15節

 

◎幼子の特徴 :

①依存性 : 人は、創造主である神、天の父である神にこそ依存して生きるものだ。

②正直であること : 罪人である自分を認め、正直に悔い改める者たちが天国に入ってゆく。

③難しく考えない : 人には出来ないことも、神は出来る。これを信頼するのが幼な子。

内側をきよめる水

2017年10月15日 マタイによる福音書15章10~20節

※  説教を楽しみにされていた方には大変申し訳ございません。録音機のトラブルにより途中から音声が録音されておりませんでした。よって、週報の裏に記載されている「要約」を転載いたします。

■  メッセージの要約

◎旧約の律法では「水のきよめ」がなされてきた。生活の様々な場面で水のきよめがなされた。外から汚れを中に入れないためだと考えられた。

◎しかしイエス様は、外側から汚れが入ってくるのではなく、人の内側から汚れが出てくるのだと指摘された。問題は外側ではなく内側だ。

◎律法が命じる水のきよめは外側をきよめるだけであった。罪の結果を取り除くことが限界だった。

◎現代社会でも似たことがなされている。法律で取り締まり、道徳で矯正しようとするが、外側をきよめるだけだ。外側に出てきた犯罪を取り除くことしかできない

◎人は「罪のなる木」のようだ。その木が実を結んで犯罪とか悪となる。旧約の水のきよめは、その実を取り除くことしかできなかった。問題は内側だ。新約になってイエスが与える水は、内側をきよめる。

①バプテスマの水によって  :  罪のなる木をバプテスマの水によって葬ってしまう。そして新しいきよい根であるキリストにつなげるのがバプテスマだ(ローマ6章)。

②神のみことばという水によって  :  御言によって私たちは聖別される(ヨハネ17:17)。生活の様々な場面で御言を受けよう。御言はきよい考え方、祝福の考え方を内にもたらす。

③聖霊という水によって  :  聖霊はその人の内側から「いのちの水」を流し出す(ヨハネ7:38-39)。この水は人を汚すのではなく、生かすことばだ。きよい水だ。

種まきのススメ

2017年10月8日 マタイによる福音書13章18~23節

 

①神は農夫のようなお方だ。:御言を私たちの心に蒔いて、栄光に輝く収穫を得ようとなさっている。その収穫を私たちと共に喜ぼうとなさっている。

②神の御言は種だ。:種は小さい。御言も小さいが、それを受けた私たちは、想像を超えた神の愛の高さ、深さ、長さ、広さを体験する。

③良い畑にまかれた種。:良い畑とは耕された地のこと。神は農夫で、私たちの心を耕される。試練を通して、悔いし砕けし心にされる。それは豊かな実りを得るため。あなたの心に蒔かれた御言は何か。記録しよう。

わたしの所に来なさい

2017年10月1日 マタイによる福音書11章28~30節

 

重荷を負って苦労している私たちに、イエス様は「わたしの所に来なさい」と命令なさっている。この「重荷」とは何だろうか。

①生活上の重荷(何を食べようか、飲もうか、着ようか。)

②罪の重荷

③義と認められようとする重荷

<イエス様と共にくびきを負い、イエス様に学べ> くびきとは2頭だてのくびきのこと。イエスは人生のくびきを一緒に負ってくださる。主の御姿を間近に見ながら学ぶのだ。人は神を礼拝する存在であること、人は神の愛を受け、神の愛を現すために生きていることを学ぶ。