最後に問われること

2018年6月10日 ヨハネによる福音書 21章15~23節

①原点に立ち帰れ
◎復活のイエス様と会うために、弟子たちはガリラヤへ戻った。そこは彼らにとって、主から召された地。原点であった。
◎迷ったとき、主と出会ったあの原点に戻れ。

②原点……それは「主を愛すること」
◎イエスはペテロの失敗を叱責するのではなく、「わたしを愛するか」と問われた。重要なことはイエスを(神を)愛することだ
◎神は、失敗も挫折もない”優等生のようなクリスチャン”を育てようとはなさらない。むしろ、失敗を通して、神を愛する神の子たちを得ようとなさっている。人生の全ての出来事は「神を愛する者になる」という一点に集中している。

③イエス様は、私たちの不完全な愛を丸ごと受け止めて下さる
◎イエスは「アガペ(無条件の愛)するか」と問われたが、ペテロは「フィレオ(友情の愛)します」と応え、三度目のイエスの質問は「フィレオするのか」であった。つまり、自信の無い愛をそのまま受け止めてくださった。
◎私たちの愛もペテロ以上に不完全だ。でも、その愛を主は認めてくださる。その愛でも構わないから、主を愛し、隣人を愛そう。

④あなたはあなたで、わたしに従ってきなさい
◎ペテロはもうひとりの弟子(ヨハネだろう)が気になっていた。他者との比較……それは人生の脇見運転だ。「あなたは、あなたで従ってきなさい」「あなたは、あなたの愛で愛しなさい」と主は言われる。

栄光で輝かせてください

2018年6月3日 ヨハネによる福音書 17章1~5節

 

 

◎神は見えないお方だ。そこで、昔は天使によってご自分を啓示なさった。つまり栄光を現された。しかし、天使はしもべなので、充分な啓示ではなかった。そして遂に神の御子が神を現された。
◎御子なる神は神を現し栄光を現された。それは……、
①神が賛美されるためであり
②御子を信じ、御子を遣わされた御父を信じる者が救いを受けるため
③栄光を現すことで暗闇のわざを滅ぼすためだ。

◎その栄光を現すに当たり、いよいよ「時」が来た。今まで以上の栄光で輝かせてください。御子が御父のもとで受けていたあの栄光で輝くようにしてください……と祈られた。
◎その「時」とは十字架の死だ。人の目には惨めで失敗に見える死において、栄光が現れるようにと祈られた。
◎一般的には、スポーツで金メダルを取るとか、難関校に入学したとか、高い地位を得たようなことを「栄光」と考える。
◎クリスチャンもそのような栄光に捕らわれて、イエスを信じているのに事業に失敗したら栄光にならない、病気になったら栄光にならないと考えがちだ。果たしてそうだろうか。
◎御子は、十字架の死に至るまで神の御心に従順なさった。この姿は人間には惨めな死に思えたが、悪魔にとっては余りにも輝いていた。あまりにも従順な姿は、霊的には最高の栄光に輝いているのだこの輝きのゆえに、悪魔はさばかれたのだ
◎私たちも御子イエスの祈りに続こう。どんな状況にあっても、子が父を信頼するように、天の御父を信頼して従順しよう。それが栄光に輝く姿であり、暗闇のわざを滅ぼすことになるのだ。

彼らを聖別してください

2018年5月27日 ヨハネによる福音書 17章11~21節

 

◎イエスは弟子たち(私たち)を残して天に昇られるにあたって、執り成しの祈りをささげられた。17章はその祈りの全文。イエス様は私たちのことを「この世の者ではない」といわれた(17:16)。
◎人はこの世の者であろうとする意識が強い。それは、日本人の歴史や風土が造り出した感覚に起因するところが大きい。

◎イエスを信じる者は「この世の者ではない。天に国籍のある「天国人」だ。地上の国民はこの世を基準にして考え生きる。しかし、私たちは天国を基準に考え生きる。世の人々とは違うのは当然だ。違いを恐れない。違いにこそ天国の味付けがある。天国の味を失ってはならない。
◎何のために私たちを聖別(聖なる区別)されるのか。

①私たちを守るために区別される。
◎神は大切な者を区別される。ノアの洪水の時、箱船に乗る者を区別された。過越しの時、小羊の血を塗った家を区別された。
◎神の御名によって区別される (11)。神はご自分の名の記されたものを、天の御蔵に収められる。神の御言によって区別される (17)。
◎礼拝者……世の者と区別していることになる。違いを恐れるな。違いによって守られている。

②私たちをキリストの証人として遣わすために区別される。
◎「世の者ではない」とは、世と隔離する生活ではない。むしろ、私たちは天国から世に派遣された宣教師だ。日本人としての誇りを持つ以上に、天国人としての誇りを持つべき。
◎私たちの生活ぶりを見て、人々は天国を知ることになる。天国人としての習慣(礼拝、御言、聖餐式等)を失ってはならない。

助け主なる聖霊が来られた

2018年5月20日 聖霊降臨節記念礼拝 ヨハネによる福音書 16章5~7節

 

◎イエス様は世を去って行かれる。それは私たちにとって益になるのだと言われる。肉なる者には、肉体をとって来られたイエスがそのままおられる方が益だと思うのだが・・・。

◎御父なる神の目的は、御子によって人類の罪をきよめることにとどまらない。その先を目的とされている。それは、御霊なる神が、信じる者に内住されることにある。御霊が内住されることこそ「益」なのだ。

◎その御霊は「助け主」と呼ばれる。どのような助け主なのか。

①聖霊は私たちの救いの完成のために助けてくださる。
◎罪のゆるしだけでは福音の半分。御霊は、罪に勝利するように助けてくださる。
◎罪はゆるされたが、罪をおかす性質はそのままだ。御霊は御言をもって私たちの罪の性質をつくりかえてくださる。「イライラする心」「怒りっぽい心」「ひがみっぽい心」等々。

②聖霊は私たちがイエスの証人となるために助けてくださる。
◎イエス様が裁判を受けているとき、弟子たちは証人になれなたった。イエスは神の子キリストと信じて救いを受けていても、証人になるには御霊が内住されることによって。
◎御霊は、私たちに確信を得るように助けてくださる。「信じる」のではなく「分かる」のだ。
◎御霊は、私たちにしるし (証拠)をくださる。証拠がなければ証人にはなれない。

イエスさまは道・真理・いのち

2018年5月13日 ヨハネによる福音書 14章1~7節

◎世には様々な道がある。しかし、天国に通じる道がない。どこを通っても自由だが、張り巡らされた道は迷路のようで、それは現代の荒野だ。
◎出エジプトしたイスラエルは荒野を通過して約束の国に入っていった。道なき荒野で神は「律法」(十戒)を与えられた。まさに、荒野における「道」だ。そこを通って約束の地に入って行くのだ。

◎旧約で啓示された道 ……十戒(律法)は広い道ではない。道にはおのずと左右の幅があるものだ。窮屈だからとこれを広げたら、それは道ではなくグランドだ。どこを通って良いのか分からない荒野と化してしまう。イスラエルの人々はこの旧約の道 を反れたり、壊したりする歴史だった。

◎新約にいたってイエスはわたしが道だと宣言なさった

◎イエスの道とは、律法を廃棄するためでも、律法の道を広げるためでもない。むしろ完成するために来られた。むしろ、狭い門であり細い道だと言われた。しかし、この道こそ天に通じる道だ
◎イエスの道には途中こんなことがあるとか、あと何kmとかといった表示がない。だから、迷うし不安になる。しかし、イエスを信じ礼拝するという道を進めその道こそが天に通じる道だ
◎世に様々な真理があるようでも、創造主なる神を見出す事の出来る道こそ真理だそれこそ本当のいのちに通じる道だ
◎弟子たちが心騒がせていたのは、地上の道、地上の楽園、地上における肉体のいのちに捕らわれていたからだ。主イエスは再臨なさる。この希望を見失うので心が騒ぐ。主イエスを待ち望めこの道を進もう

イエスさまは良い羊飼い

2018年5月6日 ヨハネによる福音書 10章1~16節

 

イエス様は良い羊飼いであり、私たちは人間は羊だ。

①羊はとても弱い動物だ。……それと同じように人間も弱い存在。
◎羊飼いなくして存在できない弱い動物。私たちも弱い存在だ。羊飼いなるイエス·キリストの守りと導きなくして生きることのできない存在であることを謙虚にみとめよう。

②羊は羊飼いの声を聞き分ける。
◎羊は近眼だ。先が見えないので、周囲の仲間と同じ行動をする習性がある。人間もよく似ている。
◎しかし、羊は羊飼いの声を聞き分ける。私たちも「見る機能」よりも「聞く機能」を研ぎ澄ませるべきだ。雑多な声や言葉が氾濫する中で、イエス様の声を聞き分けているか。

③羊は従順な家畜だ。……それに対して「獣」は聖書で何といっているか。
◎神は動物を創造なさるとき、家畜と獣を区別して創造なさった。家畜は主人を持つ動物。獣は主人を持たない動物。犬は家畜、狼は獣。
◎神に敵対する王と王国のことを聖書は「獣」と呼んでいる。第四の獣は終末の時代に登場する (黙示録)。
◎私たちは神を主人とする家畜の立場。羊飼いなるイエスに従順する羊の立場だ。決して獣の印を捺されてはならない。

◎良い羊飼いなるイエス様は、私たちに豊かないのちを得させてくださる。
◎また、私たちのためにいのちをお捨てになる主だ。困難を前に逃げ出すような偽りの羊飼いではない。そして、私たちの名を呼んでくださる。

ヤベツの信仰

2018年4月29日 第一歴代誌  4章9~10節

比嘉正元牧師による説教です。

 

①悪い環境で育ったヤベツ
◎ヤベツは母親が悲しみの中で産んだと言うことで、悲しみや苦しみを意味する〝ヤベツ〝と命名された。
◎ユダヤ人の思想として、名は体を表すと考えられている。そんな中で彼は、毎日のようにヤベツとよばれた。さて、どんな感情が生まれるのだろうか。どんな運命をイメージするのだろうか。

②ヤベツの神への信仰

◎自分の生い立ちや運命から見ると、良い人生を描きにくい。しかし、ヤベツは逆境から、運命を変える神へ訴え始めた。
◎旧約の時代に、ヤベツは「神は良い神だ」と考え、「恵み豊かなお方だ」と考え、「自分が苦しむ(ヤベツ) ことのないように」と祈った。
◎これがヤベツの神への信仰で、自分の人生を大きく、大胆に描いた(4:10)。

③神と共なるヤベツになった
◎ヤベツは自分が悪い環境で育っても、神と共に歩む自分の人生を描いた。神はその願いに応えてくださった。
◎新約の私たちは、より明確にキリストに贖われた人生を歩む者となった。ガラテヤ3章13節にあるように「律法の呪いから贖い出して」くださったのです。これはアブラハムへの祝福が異邦人の私たちに及ぶためです。
◎どんな環境に生まれようと、神と共に歩む新約のヤベツは、自分の人生を大きく大胆に描き、神に求め祈ることができるのです。
◎あなたはどのように求めるのか。

原因から目的へ

2018年4月15日 ヨハネ福音書  9章1~3節

 

①弟子たちは原因を問うた
◎生まれつき盲人の男が盲目であるのは誰のせいなのかと問うた。原因を問うたのだ。原因を解決して前を向くはずが、往々にして「後ろ向き」の生き方をしてしまう。原因探し、犯人捜しは迷路に迷い込む。
◎聖書は「前を向け」と命じている。前を向けないのは「ゆるし」がないからだ。
◎聖書によれば原因は明確だ。それは罪の結果であり、罪の結果である死が我々を支配しているからだ。

②イエス様は目的を示された
◎原因である罪と死はイエスが十字架で負われた。そして、原因ではなく目的を示された。目的を示して、私たちの目を前に向けさせられた。その「目的」とは、神の御業が現れるため。神の栄光が現れるためだ。
◎そもそも、原因である罪を人間が犯すことは、神の想定内。神は、人間を御使よりも低く(弱く)創造なさった。それは、罪を犯す弱さだ。神は、人間が罪を犯したので慌てて救いの計画を立てられたのではない。
◎あなた方は今宵わたしにつまずく……と、弟子たちの躓きをご存知であった。つまり、人が罪人であることをご存知の上で、私たちを愛してくださったのだ。それは、人間が失敗のない完璧な存在となる為ではなく、罪という弱さ故に神を愛し神を礼拝する者となるためだ。
◎盲人であった男は、肉眼が見えるようになっただけでない。ユダヤ社会から追放されてもイエスを信じて礼拝した(9:34-38),霊の目が見えるようになったからこそだ。
◎これこそ御業だ。これこそ栄光だ。私が罪人であるのは、神の栄光が現れる為なのだ。だから、神のゆるしを得て、神を愛する者になろう。