あなたがその人です

2018年1月14日 第二サムエル記  12章1~14節

 

①人は罪を隠そうとする。
◎人類最初の罪であるエデンの園でも、イチジクの葉で身を隠し、木陰に身を隠し、言い訳で身を隠した(創世記3:7-13)。人類は罪を隠すことで問題を解決しようとする。
◎しかし、心には闇が生じ、その闇を根拠にサタンや悪霊は働く。これによって人は苦しむ。ダビデも苦しんだ(詩篇32:3-5)。
②神は罪をあきらかにされる。
◎罪を隠したまま何事もなく行くのが幸福だろうか。そのようにして”うまく”やっている人もいる。しかし、神は隠れたことを明るみに出されるお方だ。あきらかにして悔い改める機会を与えようとなさる。
◎聖書は「最後のさばき」を啓示している。”最後”とは、その後は悔い改める機会が無いという意味だ。
◎神は愛なるお方なので、罪をあきらかにして悔い改めへと導かれる。
③あなたがその人です。
◎聖書の記事は他人事ではない。私のことだ。神の御言は私を写し出す鏡だ。ダビデにも預言者ナタンを通して神の御言が照らされた。「あなたがその人です。」と(12:7)。
◎イエスを知らないと三度否んだペテロの姿。十字架に付けよと叫んだ群衆。「あなたがその人です。」
◎十字架上で罪の故に苦しむイエスの御姿。そこから復活なさったイエスの御姿。「あなたがその人です。」

人生の敵に出会ったとき

2018年1月7日 第一サムエル記  24章1~15節

 

①神の御心を求める。
◎ダビデの部下たちは、敵を倒す絶好の機会だ、これぞ神の御心だと考えた。しかし、ダビデは、「神が油注がれた者に手をかけてはならない」ことが神の御心だと考えた。
◎神の御心は、自分に都合の良いこととは限らない。

②神のなさう分野に踏み込まない。
◎復讐することは神がなさる分野だ(ローマ12:19)。神が背負う荷物だ。
◎復讐心、うらみ、悲しみ、憎しみ・・・これらは人類がかかえ込んできた大きな荷物だ。重荷をおろせと言われた主イエスは、それを背負って十字架で葬られた。

③私のなすべきことは祝福だ。
◎ダビデはサウルに善をもって返した。つまりサウルを祝福した。私たちは世に祝福をもたらすために召されたのだ(Iペテロ3:9)。アブラハムが「祝福の基」であったように、私たちも祝福を発信する基である。

人生のゴリアテに出会ったとき

2017年12月31日 第一サムエル記17章31~49節

 

①今までの恵みを忘れない
◎ダビデは羊に襲いかかる獅子や熊と戦った時、主が助けてくださった恵みを覚えていた。ゴリアテに対しても助けてくださると信じた。
◎悪いことばかりを思い出すのは罪びとの性(さが)だ。主がくださった恵みを思い起こそう。イエスの十字架は恵みの中の恵みだ。

②自分の持っているもので戦う。
◎武器の大きさや数の多さを問題にしがちだが、信仰の問題だ。5つのパンと2匹の魚さえ用いられるイエスの御手の中にあることが重要だ。
◎人生のゴリアテには急ごしらえの物では歯が立たない。日頃から身に付けたもの…。それは小さな事でも、主の御手の中で幾倍にもしてくださる主を信頼しよう。

③これは主の戦いだ。
◎ゴリアテはイスラエルに挑戦しているが、実は主なる神への挑戦だ。
◎アブラハムを祝福する者を神が祝福し、彼を呪う者を神が呪われる。この原則は教会でも同じだ。私たちの戦いは “主の戦い” だ。
◎だから全てのことをイエスの御名によってなすのだ(コロサイ3:17)。
それは、どんな事でもイエス様に隠さない。イエス様とご一緒だ。職場でも学校でも家庭でも。いつもイエスにご一緒していただく事である。

神の御言を身ごもる

2017年12月24日 ルカによる福音書1章26~39節

 

①クリスマス・・・それは神の御言を身ごもること
◎神はマリヤに、「あなたは聖霊によって神の子キリストを生む」という御告げ(御言)を受けた。この御言を受け、御言を身ごもったのだ。
◎「どうぞ御言通りこの身になりますように」と御言を受け取ることが献身である。この献身なくして、クリスマスは成就しなかった。

②神の御言を身ごもれば実を結ぶ。肉ではなく聖霊によって
◎マリヤは神の御告げを実現するために悪戦苦闘したのではない。
◎キリストはダビデの家系から生まれると御言にある。ダビデの家系のヨセフと離婚したのでは、御言通りにならない。しかし、主が夢でヨセフを説得なさった。
◎キリストはベツレヘムで生まれると御言にある。なのに、マリヤはナザレの在住。しかし、神はローマ皇帝を用いて、ベツレヘムへ行くように勅令を出された。

③私のすべきことは御言を受けとること。そして祈ること
◎私の心には、神の御言が宿られるスペースがあるだろうか。人間的な言葉、この世的な常識でいっぱいだろうか。
◎マリヤとヨセフの泊まる部屋がなかったので家畜小屋で出産した。そのように、御言が宿るスペースをあけよう。家畜小屋のような場所でも。
◎そして祈ろう。御言が実現するために。マリヤはこの御告げの後、エリサベツのもとに3ヶ月滞在。彼女たちは祈ったのだ。

仕える者たちの国

2017年12月17日 マルコ福音書9章38~41節

 

◎ヨハネは行動を共にしない人々に批判的であった。
◎この根っ子にある考えは何だろうか。自分たちこそ正統派だという独善的な考え方だ。

◎この出来事の直前に、イエスは「仕える者になりなさい」と教えられたばかりだった。(9:33-37)。偉い人とは「仕える人」であると教えられた。立派な人、地位のある人に仕えるだけでなく「幼な子に仕える」のだ。見くだしてしまう「小さな者」に仕えるのだ・・・と。
◎この「仕える者」こそ、天国と地上の国との大きな差だ。これは天国の塩味だ。これを失ってはならないと、9章の最後で締めくくられている。

復活の奥義

2017年12月10日 コリント人への第一の手紙15章50~58節

 

◎復活がなければ信仰は空虚だ(15:17)。
◎肉体の体で復活するのではない。朽ちない体に復活する。

◎現在の肉体は地上で働くための「幕屋」であり「服」のようだ。服である肉体はやがて朽ちる。服のために生きるのではなく、服を着て神の栄光のために生きる。これが信仰生活。

◎種は蒔かれるとその形状は朽ちるが、そこから新しい生命が始まるように、種のように肉体でまかれて、御霊に属する体に復活する。(15:42-44)。つまり、御言によって養われた霊魂が復活の体に変化する。
◎蝶の幼虫は葉っぱを食べて、やがて死んだような「サナギ」になるが、やがて美しい蝶となって姿をあらわす。まるで復活の奥義を表現しているように思う。

さわったのはだれか

2017年12月3日 マルコ福音書5章25~34節

※ 12月17日にデータを更新しました。31分50秒~40分10秒に「証し」を追加しました。
プライバシー保護の観点から一部に音声処理をしております。ご了承ください。

①さわったのは、ひとりだけだった。
◎イエスにさわろうと群衆が殺到していた。物理的にイエスにさわった人は相当数であった。しかし、イエスにとって、本当にさわったのはひとりだけであった。

②なぜイエスはこの婦人を見つけ出そうとなさったのか。
◎彼女はいやされたのだから、こっそり帰宅しても良かった。しかし、そのままだと、あのいやしは偶々だったのか、と信仰は薄れていっただろう。だから、イエスは彼女の信仰を確かなものにされた。
◎私たちも信仰を告白しよう。証ししよう。黙って心の中だけの信仰にしていたら、いずれ薄らいでしまう。ヤコブが体験したことを石碑にして建てたように、証しという名の石を置いて行くのだ。