もはや決して         

2014年8月17日 ヘブル人への手紙10章1~18節

①律法はあとに来るすばらしいものの影(10:1)
◎「あとに来るすばらしいもの」とはイエス・キリスト。福音のこと。律法は本物の影だから、イエス・キリストをぼんやりと映していた。
◎律法は、罪の赦しには血が必要だと教えた。

②イエス・キリストはからだをもって世に来られた(10:5)
◎5~7節はキリストの言葉。体をたまわったのは、いけにえとして血を流すためだったと。この体は、神の御心を行うために備えられた。
◎この目的は、私たちに人間も同じだ。

③キリストの血は完全(10:10~)
◎キリストの血のささげものは、一度きり。ふたつとない。永遠のもの。もやはこれ以上のいけにえは「無用」だ、あり得ないという(18)。
◎それ故、神は私たちの罪をもはや決して思い出さない(17)。
◎なのに、思い出しては悩み、後悔し、自分を傷つけるのか。それは、私なりにささげる「罪のいけにえ」だ。しかしそれは高慢だ。
◎行き過ぎた呵責は邪悪な良心(22)。それさえもきよめよう。

④血はしるしだ(9:22)
◎血は強制的にいのちが断たれたしるしだ。自然死ではない。キリストが私の罪の支払いのためにいのちをささげたのは、自然死ではない。
◎意図をもって、罪の支払いとして死なれた「しるし」。それがイエスの血だ。
◎この血は罪の支払いが完全に終わったというしるしだ。過越しの日に小羊の血がしるしであったように。終わりの時の救いのしるしだ。

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