安息に入る約束        

2014年8月3日 ヘブル人への手紙4章1~13節


◎ヘブル人クリスチャン(ユダヤ人)は立ち止まっていた。旧約の世界(ユダヤ教)に戻ろうとしていた。しかし、イエスを信じることによってユダヤ教は完成するのだと論証したのが「ヘブル人への手紙」。

◎かつてのユダヤ人は出エジプトしたものの、約束の国(安息)に入ることをためらった。「入れ」と言われた神の御言を信仰によって受け止めなかったからだ(4:2)。
◎信仰がないと人の心は頑なになる。御言の種が蒔かれても根を張ることに出来ない石地のような心だ。一方、耕された土地とは、悔いし砕けし魂のこと。信仰のある柔らかい心だ。

◎状況は新約クリスチャンにも同じだ。罪の奴隷から解放されたものの、安息に入らずに荒野をさまようクリスチャンになってはならない。不平や不満が溢れ、世の生活の思いわずらいで喜びを失った生活に安息はない。

◎旧約の民は安息に入らなかった。しかし、その約束は新約の民に残されていたのだ。だから、心を頑なにしないで、御言を受け入れて安息に入れと命じている(4:9-11)。
◎神の御言はまるで鋭利なメスのように私の心を切り分ける。病んだ心を手術するかのように(4:12)。神の御言によって癒し受ける世界。それが安息の地だ。もちろん、やがて完成する神の御国は文字通りの安息。
◎この御言(神)の前に隠しおおせるものはない(4:13)。心を頑なにして隠そうとするのではなく、神にすべてを知っていただいて、本当の安息を得るのだ。
◎隠しごとのない世界こそ真の安息がある。神の平安がある。

 

 

 

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