昼も夜も神のもの       

2014年9月7日 詩篇74篇10~17節

 

◎この詩篇はバビロン軍によってエルサレムも神殿も破壊された悲惨な状況を表している(74:1-9)。もはや神に見捨てられたのであろうか(9)。こんな惨状がいつまで続くのだろうか(10)。
◎この詩篇の詩人は、悲惨な状況の中でも、神に恨み言をいっていない。これは、民の罪に対する神の御怒りであり、神の訓練であると受け止めて祈っている。

◎神は私たちを救うだけでなく、訓練なさる神である。イスラエルをエジプトから連れ出したのも、神の民として訓練するためであった。だから、すぐに約束の地に入るのではなく、荒野の旅を計画なさった。
◎荒野で律法(神の御言)を与え、①人は神のことばで生きる。②神を愛し、自分を愛するように隣人を愛する……という訓練をなさった。それが、人間としての本来の姿だ。

◎詩人は「昼も夜も神のものだ」と告白している。昼とは物事が上手く行っている時。夜は困難やつまずきの日々の事。
◎確かに神は昼だけでなく夜も創造なさった(創1:3-5)。昼だけに神がおられるのではない。夜にもおられる。夕があって朝で1日であるとは興味深い。夜があっても朝で終わるのだ。
◎人は光の中で神と出会うのではなく、闇の中で出会う。昼間は光の恵みを当たり前に思うが、夜になって光の存在に感謝する。神との出会いのために、神は夜をもご支配なさっている

◎順境の日には喜び、逆境の日には反省せよ。あれもこれも神のなさることだ(伝道7:14)。どんな時にも神に焦点を合わせよう。

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