御言を実行する人       

2014年9月21日 ヤコブの手紙1章19~25節

 

◎「そのことを知っている」の「そのこと」とは、救いが完成するためは忍耐を働かせるということである(1:4、12)。
◎私たちはイエスを信じて救いを受けた。つまり、神の子どもとして新生した。しかし、神の子どもとして完成していない。そのためには、忍耐を働かせて成長するのだ。
◎そのことを知っているのだから、御言を聞くことを優先すべきだ。語ること、怒ることは後回しにせよ(1:19)。怒ることは罪ではない。怒りの源泉は、正義を求めるが、その正義が歪められていることに対する怒りだ。神は、まさに義の世界を追及し、義を踏みにじることに怒られる方だ。
◎しかし、私たちの怒りは、自分の(自分にだけ通用する)義のため怒っている。それは、神の義を完成することにはならない(1:20)。むしろ、御言を聞くことを優先せよ。
◎御言を聞き、おこなうことは魂の救いをもたらすとは何か。イエスを信じて救いを受ける。その後、御言をおこなうことによって救いは完成して行く。つまり、魂(考え、思考の領域)がキリストに似た者になって行く事だ。
◎御言を聞いてもおこなわない人は、自分の姿を鏡に映しておきながら、その姿を忘れてしまう人のようだ(1:23)。
◎御言は、私の真の姿を映し出す鏡のようだ。「いつも喜べ~」という御言に、感謝のない不平不満の自分を映し出す。「受けるより与えるが幸いだ」という御言を通して、得ようとしている欲深い姿を映し出す。「あなたは高価で尊い」という御言に、自分の真の価値を映し出すのだ。
◎なのに、御言をおこなわないなら、その姿を忘れて、ちっとも成長しない。御言を通して自分の本当の姿を知ろう。罪人の姿。しかし神に愛されている姿を見つめつつ、私たちは自分の考えをなおし、自分の生き方をただして行くのだ。こうして、完成した者へと成長する。

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