互いに愛し合うなら      

2014年10月12日 ヨハネの第一の手紙4章12節

 

◎ヨハネの手紙は「神との親しい交わり」を教えている。そのために……

◎第一に、罪を言いあらわしなさい(1:9)。神は私の罪をご存知だが、無理矢理私の中に入ってこられるのではない。私が罪を言いあらわすとは、心のとびらを開くことだ。
◎開いたとびらから神の光がさしこんできて、神は真実で正しい方であるから、罪を赦し、きよめてくださる。罪を犯さない克己心が重要なのではない。いつも神の光に照らしてもらっていることが重要。

◎第二に、互いに愛し合いなさい(4:12)。上記のことは目に見えない神との交わりのことであったが、それは目に見える人間同志の関係とリンクしている。互いに愛し合うことは二つのことを意味する。

①神が共におられるのだ(4:12)。
神は目に見えないが、互いに愛し合う中に、私が語っているようで実は神が語っておられる。私が手をおいて祈っているようだが、実は神がふれてくださっている……という、神との交わりを表している。
②神の愛が全うされる(4:12)。
神の愛は完全だ。時間制限、人数制限、種類の制限もない。しかし私たち人間の愛には随分と制限がある。弱い愛。不完全な愛。
そんな弱さのある私たちを通して、愛が地に満ちるための大役を仰せつかった。幼な子におつかいをさせるように、父なる神は私たちに、神の愛の完成のために「互いに愛し合いなさい」と命じられた。
神の愛を現す大役に耐えきれない私たちだが、弱さがあるからこそ、そこに愛が現される。弱さは、愛を実践するすばらしい場所なのだ。

 

 

 

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