後の者が先に、先の者が後に

2017年10月29日 マタイによる福音書20章1~16節

 

イエス様は、天国の理屈と地上の理屈は異なることを教えられた。どう違うのか。

①救いについて:地上の国では立派に頑張った人が救われると考えられている。しかし、天国では朝の6時から働いた者も、午後5時からの者も同じ1デナリ。同じ救いを受けるのだ。我々の功績とは関係なく救いを受ける。

②報いについて:自分はどれだけ報酬を得るだろうか…という計算は、天国では通用しない。この世は損得計算で動いているが、天国は違う。天国は「愛の関係」で動いている。

これらを知らないと、「後の者が先になり、先の者が後になる」という結果が待ち受けている。だから…、神を愛していて、朝6時から働けたことを感謝しよう。たった1時間だけど、神を愛して働くことが出来たことを感謝しよう。

幼な子のように

2017年10月22日 マタイによる福音書19章13~15節

 

◎幼子の特徴 :

①依存性 : 人は、創造主である神、天の父である神にこそ依存して生きるものだ。

②正直であること : 罪人である自分を認め、正直に悔い改める者たちが天国に入ってゆく。

③難しく考えない : 人には出来ないことも、神は出来る。これを信頼するのが幼な子。

内側をきよめる水

2017年10月15日 マタイによる福音書15章10~20節

※  説教を楽しみにされていた方には大変申し訳ございません。録音機のトラブルにより途中から音声が録音されておりませんでした。よって、週報の裏に記載されている「要約」を転載いたします。

■  メッセージの要約

◎旧約の律法では「水のきよめ」がなされてきた。生活の様々な場面で水のきよめがなされた。外から汚れを中に入れないためだと考えられた。

◎しかしイエス様は、外側から汚れが入ってくるのではなく、人の内側から汚れが出てくるのだと指摘された。問題は外側ではなく内側だ。

◎律法が命じる水のきよめは外側をきよめるだけであった。罪の結果を取り除くことが限界だった。

◎現代社会でも似たことがなされている。法律で取り締まり、道徳で矯正しようとするが、外側をきよめるだけだ。外側に出てきた犯罪を取り除くことしかできない

◎人は「罪のなる木」のようだ。その木が実を結んで犯罪とか悪となる。旧約の水のきよめは、その実を取り除くことしかできなかった。問題は内側だ。新約になってイエスが与える水は、内側をきよめる。

①バプテスマの水によって  :  罪のなる木をバプテスマの水によって葬ってしまう。そして新しいきよい根であるキリストにつなげるのがバプテスマだ(ローマ6章)。

②神のみことばという水によって  :  御言によって私たちは聖別される(ヨハネ17:17)。生活の様々な場面で御言を受けよう。御言はきよい考え方、祝福の考え方を内にもたらす。

③聖霊という水によって  :  聖霊はその人の内側から「いのちの水」を流し出す(ヨハネ7:38-39)。この水は人を汚すのではなく、生かすことばだ。きよい水だ。

種まきのススメ

2017年10月8日 マタイによる福音書13章18~23節

 

①神は農夫のようなお方だ。:御言を私たちの心に蒔いて、栄光に輝く収穫を得ようとなさっている。その収穫を私たちと共に喜ぼうとなさっている。

②神の御言は種だ。:種は小さい。御言も小さいが、それを受けた私たちは、想像を超えた神の愛の高さ、深さ、長さ、広さを体験する。

③良い畑にまかれた種。:良い畑とは耕された地のこと。神は農夫で、私たちの心を耕される。試練を通して、悔いし砕けし心にされる。それは豊かな実りを得るため。あなたの心に蒔かれた御言は何か。記録しよう。

わたしの所に来なさい

2017年10月1日 マタイによる福音書11章28~30節

 

重荷を負って苦労している私たちに、イエス様は「わたしの所に来なさい」と命令なさっている。この「重荷」とは何だろうか。

①生活上の重荷(何を食べようか、飲もうか、着ようか。)

②罪の重荷

③義と認められようとする重荷

<イエス様と共にくびきを負い、イエス様に学べ> くびきとは2頭だてのくびきのこと。イエスは人生のくびきを一緒に負ってくださる。主の御姿を間近に見ながら学ぶのだ。人は神を礼拝する存在であること、人は神の愛を受け、神の愛を現すために生きていることを学ぶ。