あなた方は神の神殿である

2018年11月25日    コリント人への第一の手紙    3章 10~17節

健全なセルフイメージは健全な生き方へと向かわせる。神の御言は、私が何者なのかを映し出してくれる。それは「あなた方は神の神殿である」というセルフイメージだ。

①聖書は神殿が完成する物語だ。
◎エジプトを脱出したイスラエルは荒野で幕屋を建造した。幕屋とはテント式の神殿。そして、カナン定住後は石造りの神殿を建造した。
◎その後、人々が神殿をけがしたためバビロンによって滅ぼし、バビロンから帰還後、最初に着手したのは神殿建設だった。
神殿神への礼拝がささげられる所神が共に住まわれる所。しかし、イエス様が来られて、その神殿が本来あるべき姿になかったことを怒られた。「人の子には枕するところがない」とも言われた。
◎イエス様はパリサイ人たちと共にされないで、罪を悔いた砕けた魂の人々の中に住まわれた。旧約の神殿は、イエスが来られて本物の神殿が造られるための模型だ。本当の神殿とは、イエスを信じる私たちである。

②神殿の完成に向かって……。
◎私たちは神の神殿であるが未だ建築途上にある。土台はイエス・キリスト。しかしその上にどんな材料で建てるかは各自の責任だ。
◎木、草、藁の材料とは肉の力によるもの。手短に手に入る材料。しかし、終わりの日に火の中で燃えてしまう。神は私たちの肉による力を砕かれる。丁度、バベルの塔を破壊されたように……。
◎金、銀、宝石の材料とは御霊によって生じる材料だ。御霊の実もその材料だ。時間と忍耐をかけて得ることの出来る材料だ。やがて天で完成する神殿が純金とか種々の宝石で描かれていることに注目 (黙示録)。

愚かになられた主を誇れ

2018年11月11日    コリント人への第一の手紙    1章 18~31節

◎コリント教会に生じた混乱を正すためにこの手紙は書かれた。その混乱とは、誰の側につくかという分派(1:11-13)。一体誰が偉いのかという争いであった(12-14章)。要するに、何を誇りとするのか何を誇るのかという問題である。
◎神は誇り高いお方だ。ご自分の名を尊び、ご自分の義を高く上げられるお方だ。その神に似せて創造された人間もまた誇り高き存在だ。そのような人間にとって健全な誇りとは『主を誇る』ことだ(1:31)。

◎イエスを信じる以前は、神以外のものや自分を誇っていた。その肉なる感覚を、イエスを信じた後も引きずっている。クリスチャンでも「肉に属する人」と「御霊に属する人」とがいるが(3:14)、聖書は、「御霊によって歩め」と命じている。
◎肉……それはイエスを信じる以前に培った世に属する価値観だ。肉の性質は結局自分を誇り、自分が栄光を受けようとする。しかし、御霊(聖霊)は主を誇り、主に栄光を帰するように導く

◎私たちが誇るべき主イエスは、十字架で死なれたお方だ。神であるのに、人の手によって殺されたなど愚かだ。しかし、このように神が愚かになってくださった事によって、私たちは罪のゆるしを受けたのだ
◎人間同士が和解できないのは、自分は正しいと主張し、相手が先にわびるべきだと考えるからだ。しかし、神は、ご自分から和解の手を差し伸べてくださった。この愚かさによって私たちは救いを受けた。
◎自己正義を捨てよう。主イエスがなさったように弱くなろう。愚かになろう。それは人間の強さより強く、人間の知恵よりも賢いのだ。そして、そのようにして救ってくださった主イエスを誇ろう

天幕の場所を広げよ

2018年11月4日 イザヤ書 54章 1~10節

 

①神とイスラエルの関係は夫と妻の関係にたとえられている
◎「不妊の女」とか「夫に捨てられた女」とは、夫である神から離れて、偶像と結ばれ、真の子孫(信仰の子孫)を生み出さなかった民のこと。そんな民は神から捨てられた状態になっている。
②回復の約束
◎しかし、そんなイスラエルを見捨てない。神の愛は変わらないのだと宣言されている (54:7-8)。なぜなら、神は契約をなさったからだ。約束を最後まで守り通される神だ(54:10),
◎人間の婚姻も同じく契約だ。互いの愛を貫くことで、神はそれ以上に愛を貫いておられることを知ることになる。
◎「不妊の女」と呼ばれたが、神の愛の中でその関係は回復し、信仰の民が増え広がるのだ(54:1)。
だから……
③場所を準備せよ!と言われる
◎増える信仰の民を迎え入れるために「天幕の場所を広げよ」と。この命令は、新約の教会にも命じられている。救われる多くの人々を迎え入れる場所を用意せよと。
◎物理的なキャパも必要だろうが、先ずは “心の場所” だ。様々な人々を迎え入れる心のキャパを広げることだ。
◎同じ世代、同じ好み、同じ生い立ちの人だけの方が、居心地良いかも知れない。でも、それでは新しく救われる人々を受け入れることのできない “古びた皮袋” になってしまう。”新しい皮袋” を用意するのだ。
◎また、信仰の実という収穫を入れる器も準備せよ。信仰の実を肉の器に受けとめるなら、その収穫は台無しになってしまう。「御霊で始めたのに、肉で仕上げてはならない」のだ。

神の目にはあなたは高価で尊い

2018年10月28日 イザヤ書  43章 1~7節

 
◎イザヤは「人々の罪がいかに大きく深いか」を語った。また一方で「神の愛がいかに大きく深いか」を語った預言者だ。
◎罪の結果、ヤコブ(イスラエル)はバビロンで奴隷となっている。しかし、そんな民を神は「高価で尊い」と宣言された。

①どれくらい高価で尊いのか。
◎高価なものとはどれくらいのものか。人は金銭で測ってしまう。しかし、本当に高価で尊いものは、金銭で買えないものだ。
◎それは、あまりにも高価なので、神は “ただ” で与えてくださる。まさに「ただほど高いものはない」のだ。
◎罪ゆえにバビロンで奴隷となっているヤコブ(イスラエル)を取り戻すために、神はバビロンのいのちを代価になさった(43:4)。これは、新約に至って神の御子イエスの血の支払いを予表している。
◎朽ちる金や銀ではなく、キリストの尊い血によって罪人を買い取られたのだ(1ペテロ1:18-19)。 こんな高価な買い物があるだろうか。その支払いによって、罪人をご自分のものとされた。

②あなたは神のものなので高価で尊いのだ。
◎神があなたを買い取ったので、「あなたはわたしのものだ」(43:1) といわれる。私自身は無価値な罪人に過ぎないのに、神のものになったので高価で尊いのだ。
◎著名人が所有した物品も高価な値段が付く。ジョンレノンのギターが3億円の値が付いた。ましてや、神がお持ちになっている私だ。
◎自分は欠点も多い。しかし、重要なことは私は神のものだということ。かのMテレサは、自分は1本の小さな鉛筆に過ぎないと語った。神がそれを手にして栄光を表されるのだ。「私は神のものだ」と宣言しよう。そして、神がこの罪人を用いて、神のみわざをなさるのを感謝しよう。