御言どおりだったので

2018年12月23日    ルカによる福音書    2章 8~20節

①神は信仰のある者を数えておられる。
◎クリスマスの知らせは、野で夜番をしていた羊飼いたちに知らされた。時は人口登録の真っ最中であったが、彼らはローマ帝国からすれば登録の対象にならなかった。数にもならず、名も登録されない人々だった。
◎しかし神は、信仰のある羊飼いたちを確実に数えておられたのだ。彼らの名は天にきざんでおられるのだ。神の国は、このように信仰のある者たちを数え、名が記されている

②羊飼いたちは御言を信じておこなった。
◎羊飼いたちの信仰とは、御言を聞いて行うことだった。「主が知らせてくださったことを見てこよう」と聞いて行ったのだ(2:15)。その結果、「御言のとおりだった」と告白し賛美にあふれたのだ(2:20)。
◎救いはイエス(御言)を信じることだ。しかし、その救いを体験するのは御言を行うことだ。これこそ、岩を土台とした家。御言を行うことで祝福を受ける生き方。

◎マリヤも「御言どおりこの身になりますように」と祈り、御言を受け入れた。そして、生涯をかけて、「神の御言どおりだったと」体験した婦人だ。
◎彼女は時間をかけじっくりと忍耐しながら御言を体験した(2:19、51)。

◎「御言のとおりだった」と体験するための要点をまとめよう。
御言どおりこの身になりますように……御言を受容する。
語られたことを見てこようではないか……御言を実行する。
ひとつひとつ心に留めて思い巡らす……焦らずに忍耐する。

見えないものに目を注ぐ

2018年12月 16日    コリント人への第二の手紙  4章 18節    青木悠樹兄による説教

 

◎私たちには神様が見えず、見えないから神様は永遠である。
いまだかつて神を見た者はいない。ヨハネ1:18)
◎礼拝も見えない。礼拝の行為は見えるが、礼拝を通して私たちが神様とどのように向き合っているかは見えない。
◎教会も見えない。教会はキリストのからだであるからである。
教会はキリストのからだであり……」(エペソ1:23)

◎恵みキリスト教会の建物は見えるが、教会は建物を指しているのではない。キリストのからだの一つの器官として機能しているのが恵みキリスト教会である。
あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。」(1コリント12:27)

◎教会では「教会のビジョンは?」ということがよく言われる。箴言29:18 にあるように、預言者がいない現代においても、教会がビジョンを持つことは大切である。
◎「教会のビジョン」は見えるものか。目に見えないキリストの器官を担っている各教会が、目に見える形で教会の未来を解決しようとする教会運営は一時的なものでしかない。そのため、「教会のビジョン」は見えないものである。
◎私たちは目に見えない教会に集い、礼拝を通して見えない神様と出会い、見えない霊的な力をもらう。こうした経験から得た「神様、すごい!」の喜びを共有し、キリストの器官である目に見えない教会を建てあげていこう、という一致した思いを持つことが教会のビジョンである。

教会のビジョンまだ見ていない神様、未来を確信すること信仰

神は本当に良い神か

2018年12月 9日    ヨハネの手紙第三   2節    比嘉正元牧師による説教

 

◎最高のプレゼントとしてキリストを与えてくれた ” 良い父” に感謝する季節である。
「大草原の小さな家」という番組は、アメリカ開拓期の教会を中心とした町の人々、家族愛、聖書の適用など、良い番組だと改めて感じた。その父親チャールズ・インガルスが私にとっての良い父親像である。
◎しかし、父なる神はインガルスさんより遥かに良い父だ。あの「放蕩息子の例え話」テーマは「良い父」「良い神」だ。(ルカ福音書15:11 ~ 32)
①この話は放蕩息子ではなく、「良い神」にフォーカスされている。
②忠実な兄と放蕩な弟、同じ父でも二人の生き方には大きな開きがあった。
③二人は、父に対してどんなイメージ’(実像・本質)を持っていたのか。
◎弟は父と遠く離れ放蕩転落したが、父は最高の父だった。父のもとでは雇人さえ豊かだ。豚の世話役の自分は飢え死にしそうだが、父は一番良い着物を与え、指輪を与え、靴を与え、盛大なパーティーを開いてくれた。
◎兄にとっての父は、毎日生活を共にしていたが、父はケチだった。父に長年仕え忠実であったのに、パーティーはおろか子ヤギ一匹さえもらえない。父は身代を兄にも与え(12節)、更に私のものは全部おまえのものだ(31節)と言った。父は最高に良い神に変わりはない。各自の父へのイメージこそが信仰と言える。
◎神はどれ程良い父なのかというイメージ(実像、本質)は、到達できないほど高い。その父の心が、ヨハネ手紙第3の2節に凝縮されている。
①息子に、まず霊的(魂の)恵みを溢れるばかりに注ぎたいこと。
②息子が霊に恵まれたなら、全ての点で幸いを注ぎたいこと。
③息子の身体面でも豊かな健康を注ぎたいと願っている。これはまるで天国だ。
◎天の父はあなたの霊・すべての点・身体が恵まれ、そこが御国になることを願っている。御国を持つあなたを通して、周りの方に御国が注がれることを願っている。天で御心が行われているように、地でも行われますよう。御国が来ますように!
◎父なる神はケチなのか本当に良い神なのか。息子がどちらを信じるかで決まる。イエスは言われた。「あなたの信じたとおりになるように!」。

朽ちない冠を受けるために

2018年12月 2日    コリント人への第一の手紙    9章 24~27節

 

①第一コリント書を整理しよう。
◎3章では「私たちは神の神殿」と。つまり霊的存在だ。だから、肉の力で神殿を建てあげるなら失敗する。4章では、私たちはその神殿を管理する者だと。管理者に要求されることは「忠実」だ。
◎どのように管理するか。不品行を取り除け (5章)。互いの争いを許し合い仲裁せよ (6章)。結婚は聖なるものだ(7章)。他者を躓けないよう自由を自制せよ (8章)。

②自由と制限について。
◎キリストにあってすべては自由だ。しかし、その自由を肉の働く機会としてはならない。すべてが自由だが、すべてが益になるのではない
◎聖霊の支配の下で制御できる自由こそ本当の自由だ。パウロは、自分は自由だ、権利があると主張するが、それを福音宣教のために自制していると証ししている。
◎それを律法によって制限するなら窮屈で負担だ。しかし、御霊のあるところに自由がある。安息のある制限だ。なぜそうするのか?

③朽ちない冠を受けるためだ
◎「朽ちない冠」とは「」のこと。これは救いのことではない。救いはイエスを信じることによって与えられる恵み。朝から働いた者も、夕方5時から働いた者も、同じ1デナリを受けた。
◎しかし、「賞」はキリストと共に苦労した者への報いだ。このためには、肉なる自由を聖霊によって自制する。福音を伝えるために自由を制限する生き方だ。
◎肉の働きは朽ちてしまう木や草や藁の建物だ。救いを得るものの、その働きは空しい。朽ちない冠とは、金や銀や宝石で建てあげることだ。
◎朽ちない冠(賞)を得るように生きよう。