贖われた立場を知る

2019年5月26日 ガラテヤ人への手紙  3章13~14節    比嘉正元牧師による説教

贖いとは……
かつて人が、いったん奴隷になると、ほとんどの場合、ずっと奴隷のままなのですが、もし、誰かが、「贖いの代金」を支払ってくれたなら、奴隷から自由人になることができた。
「イエスの血の贖い金」は、私を罪の奴隷から、自由人とした。(ヨハネ19:30)

律法の呪いからの贖い……ガラテヤ3:13 ~ 14

罪を赦す贖い……エペソ1:7

贖いの代価となったキリスト……1テモテ2:6

イエスが教える 罪について 義について   裁きについて(ヨハネ16:8~11)

罪とは  ……   イエスを信じないこと。新約ではもはや行動ではない。イエスは罪を責めない。
義とは  ……   見ずに信じること。キリストへの信仰である。
裁きとは …… 悪魔が裁かれていること。裁きは人やその行動ではなくなっている。

イエスの血は贖いの代価となり、人を罪と律法の奴隷から完全に自由の身とした。
イエスの贖いは、罪人をアダムの立場に戻され、神の子とされ、永遠の命を持つ者とされ、祝福の相続者とされた。

すべて主イエスの名によって

2019年5月19日 コロサイ人への手紙  3章16~17節



◎前回、キリスト信仰の奥義は「私の内におられるキリスト」であることを確認した。それは、聖霊によって神の御言が私の内に生きて住まわれることであった。
◎神の御言が私の中で生きておられるので、時には御言と私の間に行き違いや葛藤が生じる。表面的に従順するのではなく、本音でぶつかって良いのだ。あの預言者ヨナも「嫌です」と反発しながら神に従順していった。
◎そのような交わりこそが、私の内にキリスト (神の御言)が生きておられるという実際だ。

◎17節では「すべてのことを主イエスの名によってなせ」と命じている。これは実際にはどのようにすることなのだろうか。

いつでも、どんな状況でも「イエス様」と主の御名を呼ぼう

◎十戒では「神の御名をみだりに唱えるな」とあるが、そのことと整合性はあるのか。律法の基本は神を愛する。愛もなく、ただ神の名を連呼して数打てば当たる式に利益を得ようとしていることを戒めている。
主を愛して「イエス様」と呼ぼう主を信頼して主を尊敬して「イエス様」と呼ぶのだ。
◎主もまた、私たちに「イエスの御名」を与えてくださった。この名を使って良いよと。この名で祈れと、ご自分の名を与えてくださったのだ。イエス様の御名は全てにまさる名だ。罪の赦しを与える権威は、イエスの名の他に天下のどんな名にも与えられていない。
◎さあ、いつもイエス様!と祈ろう。呼ぼう。 その所に主も共におられる。

内住のキリスト

2019年5月12日 コロサイ人への手紙  1章27節


◎「奥義」とあるが、それはキリスト信仰の真髄。その奥義とは「私の内におられるキリスト」。この奥義は勉強したり、難行苦行して到達することではなく、キリストを私に内に歓迎することだ。
◎キリストが私の内におられるので、私に御言を教えてくださるし、行いを導いてくださる。このお方と共に生活することがキリスト信仰の奥義だ。

◎私の内にキリストがおられるのは、”聖霊と御言によって” である。聖霊だけでは神秘主義。御言だけでは体験のない頭でっかちの信仰。聖霊は御言と共に働かれて、私の内にキリストが住まわれるようになさるのだ。

◎聖霊と御言によって私の中にキリストがおられる。これはもの凄い宝だ。神の全ての恵みや品性が詰まっている宝箱のようだ(1:19、 2:3、 2:9)。
◎こんな宝を頂いているのに、コロサイ教会の人々は、日や月などの決まりごとに熱心であったり、天使礼拝などの神秘体験を重要視したり、難行苦行がすぐれたわざだと思っていた。そのため教会は混乱していた。
私の内に住まわれるキリストを知ろう。これこそキリスト信仰の奥義

◎あなたの内にはキリストがおられるかどうか吟味せよ。

◎部屋をノックすると中にだれか居ると返事があるように、日々の出来事という「ノック」が私の心を打つ。その時、私の内側からキリストの言葉が反応してくるかどうか。
◎御言が留守であってはいけない。水のない所を探し回る悪霊が、仲間を引き連れてやって来ると、主は警告なさった。だから、キリストの言葉があなた方の内に豊かに住んでいただくようにせよ。それが内住のキリストだ。

光の子らしく歩け

2019年5月5日 エペソ人への手紙  5章1~21節


①愛の内を歩け (5:1-2)
◎愛された経験のある者が愛することができる。人は親をはじめ家庭の中で「愛すること」を形成される。しかし、不完全な愛だった。
◎しかし、神が愛してくださった。「神に愛されている子として」(5:1)とある。如何に神が愛してくださったか。その愛の内を歩け。

②光の子らしく歩け (5:8)
◎私が落ち込んでいようと、失敗の中にあろうと、私たちは光の子ども」である。だから、「光の子らしく歩け」と命令している。
◎目を覚まして立ち上がれ! とは、神の光の前に出てきなさいという意味。そうすればキリストは照らしてくださると (5:14)。
◎光の子とは、失敗のない人、過ちのない人のことではない。失敗や過ちがあっても、神の光に照らされる人のこと
◎太陽の光で発電ができるように、霊的いのちを充電する。太陽の光で殺菌するように、罪をきよめられる。太陽の光で旨味が出るように、私たちの欠点は益へと変えられる

③賢い者のように歩け (5:15)
◎「賢い」とは「時を生かして用いる」生き方。「今の世は悪い時代だ」とは、時間を肉の満足のためだけに浪費している。泥酔のため、乱行のために時間が使われている。
◎「生かして用いる」とは「あがなう」が原意。神が、私を罪の世から買い取られたように、私たちは時間を、聖なることのために、神の栄光のために勝ち取るのだ。
◎神の愛を実践するための時間(いのち)を確保することだ。