ヤコブの殉教とペテロの救出

2018年7月15日 使徒の働き  12章 1~17節

 

◎使徒ヤコブはヘロデ王に捕らえられ殉教した。その触手はペテロに及んだが、ペテロの場合は天使が遣わされて救出された。
今も天の御使は働いていて、救いを受けた私たちに仕えている (ヘブル1:14)。では、ヤコブに仕える天使は何をしていたのか。きっと、殉教の恐怖に勝利できるように助けてくれたはず。あのゲッセマネの祈りで、御使がイエス様を励ましたように(ルカ22:43)。

◎御使は私たち同様に霊的存在だが、人間のように肉体的な制限や弱さがない。なのに、神は、福音宣教の働きを御使ではなく、弱さのある人間にゆだねられた。御使にやらせれば効率よく進むであろうに……。
◎神は効率よさを求めておられるのではない。神が求めておられるのは、悔いし砕けし霊魂まことの礼拝者謙遜と従順を学んだ神の子たちだ。だから、あえて神は、人を御使よりも低い者として創造なさった。だから、神は人を哀れみ、恵みを施されるのだ。
◎弱さを嘆くのをやめよう。この弱さの中で、神への謙遜と従順を学ぶことに焦点を合わせよう。そして、この人としての弱さの中に、神の御業が現されるよう祈るのだ。

◎教会はヤコブのためにもペテロのためにも熱心に祈った。しかし、結果は違った。ヤコブのためには祈りが足りなくて、ペテロのためには熱心に祈ったから……というのでは全くない。
◎神は、殉教という方法で神の栄光をあらわし、また、奇跡的な救出という方法でも栄光をあらわされる。どのようにして、神が弱い私たちを用いられるのか、私たちには分からない。だから祈ろう。神の御心がなりますように。神の御業が現れるように。万事を益となさいますように。

イエスの名によって歩け

2018年7月8日 使徒の働き  3章 1~10節

 

①初代教会の基礎知識
◎初代教会のクリスチャンは神殿の午後3時の祈りを献げるなど、ユダヤ教の習慣を引き継いでいた。イエスを信じたので、ユダヤ教をやめてキリスト教に転向したという感覚はなかった。
◎むしろ、イエスを信じて聖霊を受けることでユダヤ教は完成すると考えた。しかし、後の歴史はユダヤ教とキリスト教の分離と乖離。キリスト教会は根っ子の部分であるユダヤ性を否定してしまった。

②午後3時の祈り……信仰生活の工夫
◎時間を決める。場所を決める。などは信仰の良い工夫。律法的になってはいけないが、信仰の実践·生活化の工夫を見習おう。

③イエスの名によって歩きなさい
◎絢爛豪華な神殿と、歩くことの出来ない物乞いとは対照的。神の名を置く神殿だが、神が共におられない。そんな神殿に身を寄せていた彼は癒されることなく歩くことが出来ないでいた。
◎しかし、新約の本当の神殿があらわされた。イエスの御名を受け入れたクリスチャンが神殿神の名のあるところに、神は共におられ、関心を持ち、祝福される
◎ペテロもそうであったように、私たちも金銀はない。しかし、私たちにあるもの……それはイエスの御名。この名の恵みを知っているだろうか。「わたしの名を使っていいよ!」と私たちに賜ったのだ。
◎この男が癒されることを通して、イエスの名に力がありこの名が神の名であることを証しした。私たちも、イエスの名を信頼し、期待して祈ろう。主は黙っておられないはずだ。イエスの名によって歩こう。

イエスの証人として

2018年7月1日 使徒の働き  1章 6~11節

①「使徒の働き」の意義
◎新しい契約は厳密には聖霊がくだってから始まった。だから聖霊がくだって後の記録「使徒の働き」は私たちの模範であり指針だ。
◎福音書は旧約と新約の移行期。だから、旧約の要素も入っている。だから、救われる為に良い行いが必要と思われる記述もある。そんなイエスの教えを、聖霊を受けた使徒たちは、「信仰によって救われる」と理解し教えた。
◎「使徒たちの教えを固く守り」とあるが(使徒2:42)、イエスの御言を使徒たちがどう解釈し生きたかが模範であり指針になるのだ。ただし、決して〝使徒たちの教え〟が、イエスの御言を超越するものではない。
②神の国の約束について
◎6節「今こそイスラエルのために国を再興するのか」と質問している。旧約聖書は「神の国の約束」で満ちている。キリストが王として統治する王国の実現だ。彼らはその約束に基づいて質問した。
◎しかしイエスは、その実現は今ではないと応えられた。時や場合は、父なる神の領域だ。つまり、私たちのすることではない。キリスト教会の歴史は、神の国の解釈の違いによって混乱している。
③地の果てまでイエスの証人として生きる
今、私たちのすべきことはイエスの証人として生きることだ。そのために神は聖霊を私たちに注がれた。これが新約クリスチャンの使命だ。
◎聖霊がくだれば「力を受ける」と約束。この力とは人間的な力や能力ではない。イエスを証しする勇気クリスチャンとして生きる勇気
◎テモテは勇気を失っていた。神が与えた聖霊は臆病の霊ではない。カと愛と慎みの霊だ。さあ、この聖霊によって勇気を得よう。イエスが再び来られるまで、イエスの証人として生きよう。

金666タラント

2018年6月24日 第二歴代誌 9章13~21節

 

①ソロモン王の栄華と富
◎今日の聖書ヶ所には当時の繁栄ぶりがうかがえる。1年間に金666タラントの歳入があった(1タラント=33kg  金価格4,500円/グラム)。
◎旧約時代は、「富」「子孫」「長寿」等が祝福のしるしだったが、それは天における本当の富を示す「ひな型」であって、仮の富である。

②ソロモン王はその富をどのように受け止めたのか
◎伝道の書(コヘレトの言葉)はソロモンの告白だ。彼は「すべては空だ」と告白した(1:2)。
◎空(むな)しさは人間特有の大切な感覚。パンだけではなく、神の御言によって生きる人間だからこそ持っている感覚。だから、ソロモンは創造主を覚えよと語ってこの書を終えている (12:1)。
◎神を知り、神との親しい交わりこそ本当の富、本当の豊かさだ。イエスは、豊作を喜んだ農夫を「愚か者」と呼ばれた。自分に富んで、神に対して富まない生き方は愚か者だ。

③金の目方が666タラントであった……その意味は
◎ソロモンが手にした金666タラント。その数字に注目しよう。聖書では「7」が完全数。「6」はその手前であって不完全を意味する。
◎ソロモンが求めた本当の豊かさを、今やイエスさまによって得ることが出来る。それは永遠のいのち罪からの救い神との親し交わりだ。

彼らはくじを引いた

2018年6月17日 第一歴代誌 24章1~5節

 

◎神殿奉仕者を決めるのにくじを引いたという記録だ。聖書にはこのような記録は幾つも記されている。聖所で香をたく奉仕をくじで引き、ゼカリヤに当たったこと(ルカ1:5-9)。ユダの欠員をくじで決めたこと(使徒1:23-26)。

◎「くじを引く」とは何を意味しているのか。神に任せる領域があることを教えている。しかし、私たちは自分でキチンとやり過ぎたり、責任を負い過ぎたりして、「くじを引く」という領域を失っていないか。

◎自分で把握し、計画し、準備し、コントロールできると思っているが、意外や自分に決定権のないことが実に多い。生まれも、時代も、育ちも……。自分の人生の何割を自分で決めることが出来ているだろうか。実に少ないとに気付く。

◎なのに……。人は、神でもあるかのようにコントロールしようとする。昔は、コントロールできないことだらけであった。人と会うにしても行き当たりばったり。出たとこ勝負。だから、神さまにお任せするしかない領域が沢山あった。

◎なのに……。自分で支配できると思い込んでいるので、思い通り行かないことに怒ってみたり苛立って、更には極度の緊張とストレスによって心が病んでいる。それは自分を神とする現代病だ。「くじを引く」という領域を失った人々の心の貧困だ。

神におまかせするしかない領域を持っている人は、豊かさのある人生だ。私は人であって、神ではない。全てを制御しようとする誘惑を捨てよう。私の足りないところに、把握できないところに、責任を越えたところに、神がお働きになり栄光を現される領域があることを信頼し祈ろう。

最後に問われること

2018年6月10日 ヨハネによる福音書 21章15~23節

①原点に立ち帰れ
◎復活のイエス様と会うために、弟子たちはガリラヤへ戻った。そこは彼らにとって、主から召された地。原点であった。
◎迷ったとき、主と出会ったあの原点に戻れ。

②原点……それは「主を愛すること」
◎イエスはペテロの失敗を叱責するのではなく、「わたしを愛するか」と問われた。重要なことはイエスを(神を)愛することだ
◎神は、失敗も挫折もない”優等生のようなクリスチャン”を育てようとはなさらない。むしろ、失敗を通して、神を愛する神の子たちを得ようとなさっている。人生の全ての出来事は「神を愛する者になる」という一点に集中している。

③イエス様は、私たちの不完全な愛を丸ごと受け止めて下さる
◎イエスは「アガペ(無条件の愛)するか」と問われたが、ペテロは「フィレオ(友情の愛)します」と応え、三度目のイエスの質問は「フィレオするのか」であった。つまり、自信の無い愛をそのまま受け止めてくださった。
◎私たちの愛もペテロ以上に不完全だ。でも、その愛を主は認めてくださる。その愛でも構わないから、主を愛し、隣人を愛そう。

④あなたはあなたで、わたしに従ってきなさい
◎ペテロはもうひとりの弟子(ヨハネだろう)が気になっていた。他者との比較……それは人生の脇見運転だ。「あなたは、あなたで従ってきなさい」「あなたは、あなたの愛で愛しなさい」と主は言われる。

栄光で輝かせてください

2018年6月3日 ヨハネによる福音書 17章1~5節

◎神は見えないお方だ。そこで、昔は天使によってご自分を啓示なさった。つまり栄光を現された。しかし、天使はしもべなので、充分な啓示ではなかった。そして遂に神の御子が神を現された。
◎御子なる神は神を現し栄光を現された。それは……、
①神が賛美されるためであり
②御子を信じ、御子を遣わされた御父を信じる者が救いを受けるため
③栄光を現すことで暗闇のわざを滅ぼすためだ。

◎その栄光を現すに当たり、いよいよ「時」が来た。今まで以上の栄光で輝かせてください。御子が御父のもとで受けていたあの栄光で輝くようにしてください……と祈られた。
◎その「時」とは十字架の死だ。人の目には惨めで失敗に見える死において、栄光が現れるようにと祈られた。
◎一般的には、スポーツで金メダルを取るとか、難関校に入学したとか、高い地位を得たようなことを「栄光」と考える。
◎クリスチャンもそのような栄光に捕らわれて、イエスを信じているのに事業に失敗したら栄光にならない、病気になったら栄光にならないと考えがちだ。果たしてそうだろうか。
◎御子は、十字架の死に至るまで神の御心に従順なさった。この姿は人間には惨めな死に思えたが、悪魔にとっては余りにも輝いていた。あまりにも従順な姿は、霊的には最高の栄光に輝いているのだこの輝きのゆえに、悪魔はさばかれたのだ
◎私たちも御子イエスの祈りに続こう。どんな状況にあっても、子が父を信頼するように、天の御父を信頼して従順しよう。それが栄光に輝く姿であり、暗闇のわざを滅ぼすことになるのだ。

彼らを聖別してください

2018年5月27日 ヨハネによる福音書 17章11~21節

 

◎イエスは弟子たち(私たち)を残して天に昇られるにあたって、執り成しの祈りをささげられた。17章はその祈りの全文。イエス様は私たちのことを「この世の者ではない」といわれた(17:16)。
◎人はこの世の者であろうとする意識が強い。それは、日本人の歴史や風土が造り出した感覚に起因するところが大きい。

◎イエスを信じる者は「この世の者ではない。天に国籍のある「天国人」だ。地上の国民はこの世を基準にして考え生きる。しかし、私たちは天国を基準に考え生きる。世の人々とは違うのは当然だ。違いを恐れない。違いにこそ天国の味付けがある。天国の味を失ってはならない。
◎何のために私たちを聖別(聖なる区別)されるのか。

①私たちを守るために区別される。
◎神は大切な者を区別される。ノアの洪水の時、箱船に乗る者を区別された。過越しの時、小羊の血を塗った家を区別された。
◎神の御名によって区別される (11)。神はご自分の名の記されたものを、天の御蔵に収められる。神の御言によって区別される (17)。
◎礼拝者……世の者と区別していることになる。違いを恐れるな。違いによって守られている。

②私たちをキリストの証人として遣わすために区別される。
◎「世の者ではない」とは、世と隔離する生活ではない。むしろ、私たちは天国から世に派遣された宣教師だ。日本人としての誇りを持つ以上に、天国人としての誇りを持つべき。
◎私たちの生活ぶりを見て、人々は天国を知ることになる。天国人としての習慣(礼拝、御言、聖餐式等)を失ってはならない。