恵みによって強くあれ

2020年1月19日  ゼカリヤ書   4章 1~14節

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バビロンからの帰還民を率いた二人のリーダー、大祭司ヨシュアと総督ゼルバベル。彼らは神殿再建事業が行き詰まる中、疲れ切っていた。彼らを強めるために主は幻によって語られた。

1) 大祭司ヨシュアへの励ましの預言 (3章)
◎彼の祭服は汚れていた。それは罪によって苦しむ姿だ。罪が解決されないままでは力が出ない。「偉そうに言うな」「相応しくない」と訴えられるのだ。その訴えや責めは人からではない。サタンだ(3:1)。 そして、 そのサタンの訴えに反応して自分自身が自分を訴える。
◎それに打ち勝とうとして、立派にやろうとするが限界を感じ、疲れ果ててしまう。しかし、神は、きよい祭服を着せてくださるのだ(3:4)。
◎ここに恵みがある。私たちはキリストを着せていただいたのだ。私の頑張りではない。私の能力によってでもない。

2) 総督ゼルバベルへの励ましの預言(4章)
◎彼は王家の血筋。身分も品格も能力もその立場に相応しいように思われる。しかし、それが通用しない現実に疲れ切ってしまった。神殿再建が頓挫し、失意の18年間が過ぎた。
◎彼に与えられた幻は、聖霊の油を無尽蔵に供給するオリーブの木だ。私たちは聖霊の油注ぎを受けて、世の光として生きて行くのだ。能力があるから世の光ではない。高い地位があるから世を照らすのでもない。
◎聖霊を受けよう。 これもまた恵みだ。 私の力も能力カも関係ない。

3)”大きな山よお前は何者だ” ”恵みあれ” と宣言しよう
大きな山とは神殿再建を妨げる困難、教会を建て上げる困難のことだ。でも、それが何者か。私たちはキリストを着せられた。私たちに聖霊が絶えず注がれるのだ。恵みがあるのだ。叫ぼう。「恵みあれ」と。「これに恵みあれ」と叫びつつ教会を建て上げよう。

現状をよく考えよ

2020年1月12日  ハガイ書   1章 1~15節


◎時はダリヨス王の第2年。 BC520年のこと。ユダヤ人がバビロン捕囚から帰還して18年が経過。 人々は神殿再建の情熱に燃えて帰国した。 先祖たちは神殿を偶像で汚したため神のさばきを受けたが、帰還民は真実の礼拝者になろうと戻ってきた人々だった。
◎しかし、神殿再建工事は中断していた。 様々な妨害によって、 人々の情熱は冷めていった。神の家 (神殿) を後回しにして、自分たちの家を建てていることへの警告がなされた (1:4)。
◎本来の使命を忘れて日常に明け暮れる生活はどこか歯車が合っていない。人々の生活は空回りしていた (1:6)。そのことで主は、 「現状をよく考えよ」とくり返しておられる (1:5, 7)。

◎帰還したユダ人の使命は神殿の再建。 まことの礼拝者からなる国作りであった。この使命は新約の我々にも引き継がれている。 私たちの人生の中心に神殿を据えよう。つまり、礼拝中心の生き方を建てあげることだ。
◎それは日常生活を軽んじることではない。勉強するのも、 勤勉に働くのも、良い地位を得、富を得るのもまことの礼拝者になるため。 失敗や躓きさえも、まことの礼拝者になるためだ

◎ユダヤ人たちはハガイの預言に応えて工事を再開した。とはいえ、その神殿の栄光はみすぼらしかった。かつてのソロモン王のような立派な建物ではない。しかし、神はこれからの神殿の栄光は、以前のそれより大きいのだと約束された (2:9)。
◎だから、工事を再建してからの後のことを考えよと勧められている (2:15, 18)。私たちも礼拝中心に人生を建てあげよう。 その後のことを考えよ。主は祝福すると約束なさっている (2:19)。

本当の勝利

2020年1月5日  マタイによる福音書   4章 1~11節


イエスが悪魔からの誘惑を受けたのは、バプテスマを受けて後のこと。神のために活動(公生涯) を開始なさった時だった。イエスを信じバプテスマを受けた私たちも同じ立場。そして、イエス同様に誘惑を受ける。イエスが毅然と立ち向かわれたように、 私たちも後に続くのだ。

①石をパンに変えて見よ。
◎大量のパンを提供することで人類を救済できるのか。 イエスはご自分を「いのちのパン」として世に与えるために来られた。
◎私たちにとっては、パンだけで生きようとする誘惑。「お前の財産を、お前の人生をパンに変えて見よ」とする誘惑だ。 パンを得るためだけに生きるのか。そうではない。 神の御言で生きるのだ。

②神殿の高い所から飛び降りてみよ。
◎ユダヤ教の中心でこんな奇跡を表したら、人々は一気にイエスを神と信じるだろう。人々を信じさせるのに手っ取り早い方法だ。 しかし、イエスが目指すところは、十字架の死と復活だ。 これを信じるには時間がかかる。
◎悪魔は聖書を都合良く引用して、私が自分勝手に生きるように誘惑する。別な箇所では何と言っているか。聖書を文脈で読もう。 全体から理解しよう。

③私(悪魔)を拝め。 世の栄華をお前に与えよう。
◎イエスも我々も世の栄華を得るために生きているのではない。世の栄華はやがて朽ちる。虫が喰い錆がつき盗人等が盗み出す繁栄だ。 そんな空しいものを得るために、 まことの礼拝を放棄してはならない。
◎目指すところはまことの礼拝者だ。ハッキリさせよう。 神と富と両方に仕えようとするので悪魔はつけ込む。

神さまのサプライズ

2019年12月29日  ヨナ書   4章 1~11節


神は、敵国の都ニネベが救われるようにとヨナを派遣なさった。しかし、ヨナも私も「汝の敵を愛せよ」と言われる神の愛の大きさについて行けない。だから、神は、その愛を示すために「サプライズ」を用意なさった。

サプライズ(1)  神はヨナを救うために大魚を備えられた。
◎不従順な預言者ヨナの行く手を阻むような嵐 (1:4)。 神は、嵐を用いてでも不従順を正される。しかし、ヨナはふて腐れて寝ている(1:5)。こんなヨナも神は愛しておられる。 死を願って海に落ちたヨナに、神は大魚を用意された (1:17)。
◎ヨナは大魚の腹(よみ)の中で悔い改め祈った。よみのような暗闇の中からでも、真実な祈りや叫びを、神は聞いてくださる。

サプライズ(2)  神は異邦人(ニネベの人々)を愛してお救いになった。
◎死を経験したヨナの宣教は人々の心を揺さぶった。十字架の死を経たイエスの御言は私たちの霊魂を揺さぶる。イエスの十字架で死を経験した者の宣教に影響力がある。
◎ヨナの言葉は単純だ。巧みな言葉ではない(3:4)。立派な預言者でもない。でも、ニネべの人々を動かした。「良く思われたい」とか「実績を上げたい」 という自我が死んでしまうことだ。

サプライズ(3)  神はヨナを愛して正された。
◎ヨナの宣教は大成功だった。しかし、それは彼が素晴らしかったからではない。4章には、ニネベの救いに腹を立てるヨナの姿。彼らの救いを喜べない姿がある。それは「放蕩息子の兄」であり、「朝からぶどう園で働いた男」の姿であり、また、 私の姿だ。
◎放蕩息子を迎える父の愛を知らない。午後5時からの男をあわれむ主人の愛を知らない姿だ。そんなヨナたちに「あなたの怒りは正しいのか」と問われる。神の愛の大きさを知らない者の怒りは、取るに足りないちっぽけな怒りだ。神の愛の大きさに目覚めよう。

博士たちの礼拝

2019年12月22日  マタイによる福音書   2章 1~12節


◎東方からの博士とは、どんな人たちなのか。
◎博士らはどうして、 キリスト(メシア)の誕生のことを知ったのか。
◎ヘロデはなぜ、キリスト誕生の知らせを聞いて恐れまどったのか。

キリストに対する三つの態度がある。
①ヘロデ王の態度 …… キリストに敵対する人々
◎王の立場に固執する人は、やがてキリストに敵対する。それは、 孤独で寂しい人生だ。
◎ヘロデは正統な王ではなかった。キリストこそ本当の王。 自分はどうだろうか。私は正統な王ではないと認め、 まことの王であるキリストを王座に迎えよう。

②聖書学者たちの態度 …… キリストに無関心な人々
◎彼らはキリストの生誕地を知っていた。 しかし、 博士らと行動をともにしようとしなかった。
◎博士らのような信じ方を狂信的と軽んじたのだろう。 また、 王宮おかかえの学者としての身分に関心があり、キリストには無関心であった。

③東方の博士たちの態度 …… キリストを受け入れ礼拝する人々
◎彼らは真理を求めて、多く執着を捨てて旅に出た。私たちもそのようにしてこの世にあっては旅人であり寄留者だ。執着という重荷を捨てて、心の手がつかむことの出来る宝を持って、 神の御前に出よう。

祝福の系図

2019年12月15日  マタイによる福音書1章1節


◎マタイは冒頭に「王であるキリストの系図」 を記録した。しかし、その系図は罪と苦難にまみれた系図だ。本来なら、格好良く改ざんしたいところだが、恥部を隠さず記録している。

◎特に女性の名が記されているには意味がある。

1) タマル……ユダの息子の妻
2) ラハブ……カナン人でエリコの町の売春婦だったが悔改めて信仰へ。エリコの城壁に「赤いリボン」を結んだ。
3) ルツ …… モアブ人。姑ナオミに従って信仰へ。落ち穂拾い。
4) ウリヤの妻(バテシバ)…… ダビデ王との不倫によって。

◎このような系図は何を意味しているのだろう。

①キリストは罪人のただ中に来られた。
悔いし砕けし魂の中に。 罪に苦しむ者のただ中に来られたキリスト。
キリストは王宮ではなく、家畜小屋に誕生された。
私たちの罪にまみれた人生にも、キリストは来てくださるのだ。

②異邦人にも救いをもたらすために来られた。
女性が軽んじられた時代に、女性の名が記されている。 しかも異邦人の名だ。ラハブは悔い改めを表し、 ルツは謙遜を表している。

③預言通りに来られた。
このイエスこそ正真正銘の神からの救い。 神のキリストだ。

わたしの霊をすべての人に注ぐ


2019年12月8日 ヨエル書    2章 28~29節    比嘉正元牧師による説教


神の御心は「すべての人にご自分の霊を注ぐこと」。 人は聖霊によって豊かな人生を歩み、悪魔に勝利できるように創られている。生まれつきの性質は神に喜ばれる生活は求めないが、聖霊は神の御心を熱心に求める。それ故、私たちが聖霊とともに歩むとき、神の栄光を現す人生となる。

1)   聖霊はインマヌエルの神
◎神はアダムに息を吹き込み、ご自分の聖霊を人間の中に住まわせた。2000年前のペンテコステの日に聖霊が注がれた。今日も同様に聖霊が私たちに注がれる。聖霊なしに御言を守り、御心を行うのは不可能。
◎聖霊こそ、われらと共にいる神である。
2)   聖霊をすべての人に注ぐプラン
◎本日の聖句はすべての人に神の霊を注ぐという約東。 特別な人や牧師、熱心なクリスチャンに限定されていない。 聖書は名もない娘や息子、 男奴隷、女奴隷にも聖霊を注ぐと約束している。
3)   聖霊に満たされなさい
◎弟子たちは、使徒1章8節で「聖霊があなた方の上に臨まれるとき、あなた方は力を受けます」とキリストの約束を受けた。使徒2章4節でその聖霊に満たされた体験をした。
◎そこから神のプランが始動した。使徒の働きは実に聖霊の働きだ。
◎聖霊に満たされると信仰生活は自由になる。 生まれつきの性質は良い行いにフォーカスするが、聖霊は、聖霊と共に歩む生活にフォーカスする。
◎礼拝に出なければ、より礼拝が大好きになる。愛さなければ、 より愛したいと欲するようになる。そのような時に、神のプランが始動するのだ。だから、聖霊に満たされなさい。