仕える者たちの国

2017年12月17日 マルコ福音書9章38~41節

只今、音声を編集しております。公開までしばらくお待ちください。

◎ヨハネは行動を共にしない人々に批判的であった。
◎この根っ子にある考えは何だろうか。自分たちこそ正統派だという独善的な考え方だ。

◎この出来事の直前に、イエスは「仕える者になりなさい」と教えられたばかりだった。(9:33-37)。偉い人とは「仕える人」であると教えられた。立派な人、地位のある人に仕えるだけでなく「幼な子に仕える」のだ。見くだしてしまう「小さな者」に仕えるのだ・・・と。
◎この「仕える者」こそ、天国と地上の国との大きな差だ。これは天国の塩味だ。これを失ってはならないと、9章の最後で締めくくられている。

復活の奥義

2017年12月10日 コリント人への第一の手紙15章50~58節

 

◎復活がなければ信仰は空虚だ(15:17)。
◎肉体の体で復活するのではない。朽ちない体に復活する。

◎現在の肉体は地上で働くための「幕屋」であり「服」のようだ。服である肉体はやがて朽ちる。服のために生きるのではなく、服を着て神の栄光のために生きる。これが信仰生活。

◎種は蒔かれるとその形状は朽ちるが、そこから新しい生命が始まるように、種のように肉体でまかれて、御霊に属する体に復活する。(15:42-44)。つまり、御言によって養われた霊魂が復活の体に変化する。
◎蝶の幼虫は葉っぱを食べて、やがて死んだような「サナギ」になるが、やがて美しい蝶となって姿をあらわす。まるで復活の奥義を表現しているように思う。

さわったのはだれか

2017年12月3日 マルコ福音書5章25~34節

※ 12月17日にデータを更新しました。31分50秒~40分10秒に「証し」を追加しました。
プライバシー保護の観点から一部に音声処理をしております。ご了承ください。

①さわったのは、ひとりだけだった。
◎イエスにさわろうと群衆が殺到していた。物理的にイエスにさわった人は相当数であった。しかし、イエスにとって、本当にさわったのはひとりだけであった。

②なぜイエスはこの婦人を見つけ出そうとなさったのか。
◎彼女はいやされたのだから、こっそり帰宅しても良かった。しかし、そのままだと、あのいやしは偶々だったのか、と信仰は薄れていっただろう。だから、イエスは彼女の信仰を確かなものにされた。
◎私たちも信仰を告白しよう。証ししよう。黙って心の中だけの信仰にしていたら、いずれ薄らいでしまう。ヤコブが体験したことを石碑にして建てたように、証しという名の石を置いて行くのだ。

忠実で思慮深い者

2017年11月26日 マタイによる福音書25章14~30節

 

◎主イエスはもう一度来られる。だから「目をさましていなさい」と命じられた。それは再臨のイエスに焦点を合わせて生きること。
◎「忠実」とは何か。それを教えるために「タラントのたとえ話」をなさった。タラントは各自違うが、違いに目をむけるのではなく、預けてくださった神に目を向けることが忠実の基本である。タラントは預かったものだ。時が来れば返さなくてはならないし、清算しなければならない。自分のものだと思うので比較して誇ってしまう。比較する世界から出エジプトしよう。
◎「思慮深い」とは何か。それを教えるために乙女の話をなさった。大切なことは、聖霊の助けを受けて生きることだ。

共に歩いてくださるお方がいる

2017年11月19日 チャペルアワー2017:VTRをご覧頂いた後にメッセージをお聞きください。

■ VTR (Carry Me, Trust Me, Love Me, Keep Me, Protect Me) 

 

■ 礼拝説教(メッセージ)

1) Carry Me わたしを負いなさい
◎十字架を負うことはイエス様と共に歩むことだ。イエスは決して私の重荷とはならない。むしろ助けとなる。

2) Trust Me わたしを信頼しなさい
◎イエスと共に歩む中で崖のような試練もある。奇跡でも起きて、問題が劇的に改善されることを願うものだ。
◎でも信頼してジャンプしてみよう。きっと、今まで見たことのない景色が広がるはず。

3) Love Me わたしを愛しなさい
◎私たちの周りには愛すべきものが沢山。でも、きっと愛すべきは救い主であるイエス。イエスはそれ以上に愛を返してくださるお方だ。

4) Keep Me わたしから離してはならない
◎イエス様そっちのけで、富や誘惑をかかえ込んでいないか。かかえ込むほど、イエスの存在は小さくなって行く。
◎でも、イエスだけは離してはならない。イエスも私たちを決してお見捨てにならないお方なのだから。

5) Protect Me わたしを守りなさい
◎私が信仰(イエス)を守っているようで、実は逆に守られていることを知ろう。イエスはあなたの盾となり砦となってくださるお方だ。

目をさましていなさい

2017年11月12日 マタイによる福音書24章32~44節

 

◎主イエスは再び来られる。その時の前兆を24章で語られた。目をさましていないと、この前兆を見逃してしまう。突然のことになってしまう。

◎主イエスが再臨なさるとき、私たちの救いは完成する。今は、「産みの苦しみ」をしているのだ(ローマ8:22~23)。しかし、だからといって救われていないのではない。救いを完成するために来られる主を迎えられるように目をさましていよう。

◎「目をさます」とは、再臨のイエスにフォーカスを合わせる生き方だ。現実のことばかりに目を合わせると近視眼的。逆に、再臨のことばかりを気にして、現実を軽んじる遠視的な生き方も要注意。

◎再臨のイエスは「清算」をするために来られる。

◎今の世は理不尽な世界。計算の合わない世界。それを無理矢理合わせようとしてさらなる矛盾へと陥ってしまう。

◎とはいえ、なにもしないわけではない。不完全な私ができる限りのことをするが、正しくさばかれるイエスの裁量にゆだねる。自分が正しいとは考えない。それが目をさましていることだ。

◎生まれながらの格差の問題もある。生まれ育ちの差。経済格差。身体的格差。どれをとっても理不尽だ。努力が足りないからか。過去の罪が尾を引いているのか・・・と、盲人の男に問いかけたように人は原因を探る。

◎イエスは原因ではなく「目的」を言われた。栄光が現わされるためだと。それは私たちが愛し合うためだ。再臨の主は清算をなさる。「あなたは愛しましたか」と。その最後の問いかけにフォーカスを合わせよう。

三つの愛に生きる

2017年11月5日 マタイによる福音書22章34~40節

 

◎イエス様は律法を完成するために来られた。その律法をまとめると「愛しなさい」ということ。神を愛し、自分を愛し、隣人を愛すること。

◎その律法とは「十戒」のこと。前半の四つは「神を愛する」こと。後半は「自分を愛し、隣人を愛すること」である。

◎律法は「道」のようなもの。イスラエルは道のない荒野でこの律法を受けた。新約における「道」は「愛すること」。この道から外れると、荒野で迷うことになる。

後の者が先に、先の者が後に

2017年10月29日 マタイによる福音書20章1~16節

 

イエス様は、天国の理屈と地上の理屈は異なることを教えられた。どう違うのか。

①救いについて:地上の国では立派に頑張った人が救われると考えられている。しかし、天国では朝の6時から働いた者も、午後5時からの者も同じ1デナリ。同じ救いを受けるのだ。我々の功績とは関係なく救いを受ける。

②報いについて:自分はどれだけ報酬を得るだろうか…という計算は、天国では通用しない。この世は損得計算で動いているが、天国は違う。天国は「愛の関係」で動いている。

これらを知らないと、「後の者が先になり、先の者が後になる」という結果が待ち受けている。だから…、神を愛していて、朝6時から働けたことを感謝しよう。たった1時間だけど、神を愛して働くことが出来たことを感謝しよう。