来臨の輝きをもって

2019年6月9日 テサロニケ人への第二の手紙   2章1~12節

 
◎主イエスはいつ来臨されるのか。その時期と場合は明記きれていないが、前兆があると主は言われた。
◎テサロニケ書では更に踏み込んで次のように予告している。

①再臨は既にあったというデマが流れる (2:23)
②背教する人々の増加 (2:3)
③不法の人の登場 (2:8)

◎「不法の人」とは「滅びの子」「反キリスト」「獣」 とも呼ばれるひとりの人物。悪魔的な能力とカリスマ性に溢れた人物で、人々は彼を神としてあがめ称賛するようになるだろう。
◎彼の登場を阻止するものが働いている。 それは、 ① クリスチャン(教会) ② 政治的仕組み(民主主義)であろうと考えられる。それが取り除かれると、反キリストの時代が始まる。 7年の患難期と呼ばれる。
◎しかし、再臨のキリストは、御口の息(御言)と来臨の輝きで彼を滅ぼされる。 腕力などの物理的な力によるのではなく、 輝きによって悪魔が滅びるのは御心にかなったことだ。
◎イエスが十字架で死なれたことで、 悪魔のわざが滅ぼされたとあるが、それは、御子イエスの御父への従順こそが、 不従順の権化である悪魔には最大の輝きであり、その輝きによって減ぼされる
◎十字架の下で「お前がキリストなら降りてみよ」は、従順の光に耐えられないサタンの声。 なぜそんなにまでして信じるのかと捨て台詞を吐いたヨブの妻の声は、サタンの叫びだった。
◎私たちも、神への従順と謙遜が、悪魔を滅ぼす輝きであることを覚えよう。
私たちは世の光である。世的に成功したり脚光を浴びた姿が「輝き」ではなく、神への従順が輝きであり世の光である。

救いを得るように定められた

2019年6月2日 テサロニケ人への第一の手紙  5章1~11節

 
私たちは、私たちの罪のために十字架で死なれたイエスを信じる。 復活し、天に昇られたイエスを信じる。そして、再臨されるイエスを信じる。では、何のために再臨されるのか。

①私たち人間にとっては······救いの完成のために来られる。
◎罪のゆるしだけが救いのすべてではない。 それはあえていえば「法的な救い」だ。
◎罪がゆるされても、心は罪の性質を持っている。だから、聖霊が内住されて、私たちの心を新しくされる。 これは、地上で生きている期間、聖霊が私の心を取り扱われる。 「内的な救い」 だ。
◎肉体は弱さだ。この肉体が朽ちない体に変えられる時が来る。主イエスの再臨の時、私たちは復活してこの体をいただく。「外的な救い」。
◎私たちはこの約束を信じてまっている。 約束した以上、 その約束の場所(信仰)にとどまってるべきだ。その場から離れてはならない。

②悪魔(サタン)にとっては······さばきと刑罰のために来られる。
◎キリストが来られたのは悪魔のわざを滅ぼすため(Iョハネ3:8)。この悪魔とは、天で罪を犯し、さばきの時まで暗やみ (この夜)に閉じ込められた堕天使たちだ(ユダ 6。 Ⅱペテロ2:4)。
◎罪のさばきと刑罰は、 この悪魔とその仲間たちのために用意されたもの。救いは人間のために用意された (1テサ5:9)。 ただ、 問題なのは、人間が悪魔と道連れになることだ。
◎イエスを信じて、悪魔の支配から出てきなさいと神は呼びかけておられる。ノアの時の洪水は、 やがて来たるべき罪のさばきと刑罰の予表。しかし、箱船(イエス)の中の者は救われた