仕える者たちの国

2017年12月17日 マルコ福音書9章38~41節

只今、音声を編集しております。公開までしばらくお待ちください。

◎ヨハネは行動を共にしない人々に批判的であった。
◎この根っ子にある考えは何だろうか。自分たちこそ正統派だという独善的な考え方だ。

◎この出来事の直前に、イエスは「仕える者になりなさい」と教えられたばかりだった。(9:33-37)。偉い人とは「仕える人」であると教えられた。立派な人、地位のある人に仕えるだけでなく「幼な子に仕える」のだ。見くだしてしまう「小さな者」に仕えるのだ・・・と。
◎この「仕える者」こそ、天国と地上の国との大きな差だ。これは天国の塩味だ。これを失ってはならないと、9章の最後で締めくくられている。

敬虔のための鍛錬

2017年2月26日 テモテへの第一の手紙4章7~9節

 

「敬虔」とは何か見えない信仰を、生き様を通して見える姿に現すこと「信じる」という心の中の出来事を、見える形に現すこと・・・それが敬虔。

◎敬虔とは奥義だと語っている。イエス様が肉体をとって来られて、神の義が現れ、それは天使にも人々にも見ることができ、それは栄光となった・・・。これが敬虔の奥義。
◎イエス様が肉体をとって来られたので、見えない神を見ることができた。見えない神の愛を、神の義を、神の栄光を、私たちは見たのだ。この肉体は、見えない神を現すための聖なる器だ。
◎キリストがなさったと同じように、私たちも見えない神、見えない御言、見えないキリストを世に現すためにこの体が備えられている。ただ、心に信じているだけでなく、見える形に現そう。それが敬虔の奥義。この敬虔を疎かにして、信仰の破船に遭うのだ。

◎では敬虔の為の訓練とは何か。①クリスチャンの旗印を明確にする。信じていることを隠さない。②祈ること(声に出して)。祈りとは主役をイエス様に明け渡すことだ。祈らないでいると、自分が主役になっている。それだけイエス様の出番を塞いでいる。③御言を実践する。見えない御言が見える姿に表れる。イエス様も「御言が肉体となって来られた方」だ。